今年も、私たちにとって12月はギビング・ツリー月間です。 始めてから3年目、事務局としてもだいぶ慣れてきたとはいえ、ハプニングはつきもの。てんやわんやと色々ありつつ、イブの24日に最終日を迎え、子供達にプレゼントをすべて渡し終えました。この日を迎えると「やっぱりやって良かった」と思い、子供達からプレゼンターさんへ送るハガキが届くと、改めて「本当に良かった!世の中捨てたものじゃない!」とつくづく思うのです。 ポジティブ心理学の中で、幸福感を研究するセリグマンはその研究の中で、大変世話になったにもかかわらず感謝の意を伝えていなかった人に感謝の手紙を直接渡すよう支持したグループは、1週間後から1ヶ月後まで長期に幸福感が高かったことを報告しています。またリュボミースキーはさらに、感謝の手紙は相手に届けずただ書くだけでも幸福感が高くなることを報告しています。 人に感謝されたり優しくしてもらうのはもちろん嬉しいことですが、人に感謝したり利他的な行動をとるとより幸福感が高く、長く続くようです。 一方で「〇〇してあげたのにお礼の言葉もない」と怒る人もよく見かけます。気持ちは分かりますが、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。 “〇〇してあげた”きっかけは、相手が「困ってるな」「喜ぶだろうな」と思うから「相手の立場に立ったら、こうしてもらえば嬉しいだろうな」と、自分が思ったからだと思うのです。それだけに何の反応もないと、常識(マナー)に照らし合わせて「何故⁈」という気持ちになるのも当然です。 でもそれは、あくまで自分が「やろう!」と思って“誠意”でやったこと。元々はお礼の言葉や見返りを求めておこした行動ではないはずです。だから、常識的にはちょっと外れるかもしれませんが、ここはひとつ「ま、いいか。あそこでやりたくて行動を起こしたのは自分だし、満足、満足」と思えればもっと平和で素敵ですね。 ギビング・ツリーに宿るのは、そんな精神なんだと思います。何の見返りも求めずにプレゼントを買って贈ってくれるプレゼンターさん達は「楽しかった。参加させてもらってありがとう!」と言って行かれます。 これこそ本来のクリスマスの真骨頂!メリー・クリスマス! [2023.12 Yoriko.O] 平成18年に教育基本法が改正されました。第1条(目的)は、人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期すという基本的な姿勢を踏襲しています。一方、第2条以降は大幅な変更が加えられました。昭和22年の制定から半世紀以上が経過する中で、科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化など、教育をめぐる状況が大きく変化し、様々な課題が生じていることがその要因と考えられます。 その中で特に注目したいのが第2条(目標)です。これからの苦難の時代を切り開くためとして5項目に渡って教育の具体的な目標が以下のように記されています。 1 幅広い知識と教養 ※ 真理を求める態度 豊かな情操と道徳心 ※ 健やかな身体 ※ 2 個人の価値を尊重 能力,創造性,自主 自律の精神 勤労を重んずる態度 3 正義と責任 男女の平等 自他の敬愛と協力 公共の精神 主体的に社会の形成に参画・発展に寄与 4 生命を尊び 自然を大切に 環境の保全に寄与 5 伝統と文化を尊重 我が国と郷土を愛する 他国を尊重 国際社会の平和 旧基本法の第2条では「実際生活に即す、自発的精神、自他の敬愛と協力、文化の創造と発展」でしたので、ここまで具体的に明示されたのは異例と言えましょう。さらに、平成29年から平成31にかけて学習指導要領も大きな改訂が行われましたが、その前文に教育基本法の第1条(目的)と第2条(目標)がそっくりそのまま記載されています。なぜ、わざわざ貴重な紙面を割いて全文を載せたのか。その意図を考えずにはいられません。 今の日本の教育は、人格の完成を目指し…という教育の目的に本気で取り組んでいると胸を張って言えるでしょうか。中でも、教育の中心たる学校教育において、第2条の目標のどのくらいをカバーできているでしょうか。特に※印以外についてどう取り組めばいいのか…そのことを学校教育は真剣に考えているでしょうか。改正教育基本法や改訂学習指導要領はそのことを厳しく指摘しているように思えてなりません。教育の目的や目標という原点に立ち戻ったとき、 教育の本来の在り方が見えてきます。現状とのギャップを目の当たりにして、私にはやるべきことがまだまだあるように思えます。 今日は青森公立大学の「総合的な学習の時間の指導法」の授業の最終日でした。私の心の叫びが15人の若者に届いたと信じたいものです。 [2023.11.24 坂本 徹] 人の原動力は、気力と体力。 神様は人間をうまく作ったもので、気力・体力は双方バランスを取りながら機能するようです。体力ばかりが突出してうっかりな行動をとってしまったり、気持ちだけが空回りしてうまくいかないことって誰しも経験があるでしょう?一方で、少々疲れ気味なんだけど気力で何とか乗り切った!なんてこともあります。気力と体力は、お互いの多少のマイナスはカバーし合える美しい関係でもあります。 唐突ですがシリーズ化している大和ハウスのCM、クスッと笑いを誘うドラマ仕立てで、悪と戦う“ダイワマン”が主人公です。 このseason2では、新しいダイワマンスーツがお披露目されます。スーツの製作者曰く「このスーツは一切攻撃ができません。そのかわり、戦意を喪失する波動が出るのです」という代物。これって最強じゃないですか!?全ての紛争国に日本から提供したいスーツ。まあ…、このCMが大和ハウスの製品とどう繋がるのかは別として、とても印象に残ったのは事実です。 良いことも悪いことも、“気力”がなければ出来ないんだという当たり前のことを悟ったのがつい先日。病院にも行きましたが、結局風邪だったのかコロナだったのか判然としませんが(因みに罹患から3週間以上たっても周りにコロナ感染者はいないので多分風邪)、熱やだるさはなく、喉の痛みの後、咳と痰と気力喪失という症状でした。 この気力喪失が咳のせいなのか歳のせいなのか、はたまた異常な夏の暑さの後遺症なのか「何もする気がしない」というより「何もかもどうでもいいやっ」という感覚。良いことも悪いことも全てに関心が湧かない、体は動くが心が伴わない、自分がロボットにでもなったよう感じでした。こんなの初めての感覚。こうなると、物事への情熱が消えてしまうと同時に、他人への感情も良いも悪いも消えてしまうということが分かりました。 これがウイルスのせいだとしたら、ウイルス最強。ウイルスで人類滅亡もあり得る?! コロナで精神的に病んだというニュースを多く聞きます。神様の悪戯だとしたら恐ろしい。身体を傷つけるより、こういうことが人を“人”でなくするのかもと、大げさに悟った晩夏の体験でした。 [2023.10. Yoriko.O] 物事には重要なこととそうでもないことがあります。また、急ぐべきこととそうでもないことがあります。この2つの分類を組み合わせると、第1領域時間(重要&緊急)、第2領域時間(重要&非緊急)、第3領域時間(非重要&緊急)、第4領域時間(非重要&非緊急)とういう4つのマトリクスが出来上がります。 普通、真っ先に取り組むのは第1領域時間ですよね。確かに、重要&緊急である第1領域時間に目が行きますが、実はポイントとなるのは重要&非緊急の第2領域時間なのです。自己啓発、日々の学習や練習、長期にわたるプロジェクトの計画や準備、人材育成、メンタルヘルスなどがこれにあたります。 小学生のころ、夏休みの宿題…明日からやろうと思って過ごすうちに、気がついたら明日が始業式。泣きながら宿題をやった経験はありませんか。これは、当初、第2領域時間(重要&非緊急)だったものが、時間の経過によって第1領域時間(重要&緊急)に変化してしまった例です。 重要度は同じも、第1領域時間には余裕がありませんから、「泣きながら」やることになってしまいます。そして、時間に追われますから「やっつけ仕事」になってしまいます。ですから、できたとしても質の低下は否めません。つまり、第1領域時間ではなく第2領域時間のうちに処理すればいいわけですが、ポイントは、そうすることで「第1領域時間にずれ込むことを防止」できるということ所にあります。 重要事項を優先する=第2領域時間を管理する。これはステーブン・R・コヴィーの7つの習慣のおける第3の習慣でもあります。ごく当たり前のことではありますが、意識して臨まないとつい重要なことを先延ばしにしてしまうものです。分かってはいるのですが、僕もまだまだ修行が足りません。今月もブログを書くのが遅くなってしまいました。(反省) [2023.9.27 坂本 徹] 青森市は今、ねぶた祭りの真っ最中。2〜7日の6日間、日中は普通に仕事をしている人々が、どこからこれだけというくらい沢山の人がワサワサと集まってきて、祭りを盛り上げます。3年前囃子方に入り祭りの裏側を見ることができ、支える人の多さに驚きました。 ねぶた本体を作るねぶた師との交流はあまりないので詳しくは分かりませんが、祭りの相当前から多くの人手によって作り上げられていることは、割と知られています。いよいよ本番となると、ねぶたや太鼓台の曳き手、提灯を持つ人、給水リヤカーを引く人、そして囃子方…。台上げ(ねぶたはパーツに分けて作り、本番直前に曳き台に上げながら合体します)作業などは、これらの人が全員で力を合わせて作業をします。 先日「ねぶた囃子、よくやるよね〜。ボランティアだよね〜」と言われました。 やってる本人たちは、ねぶたが好きで好きでたまらず、休暇をとってまで参加するのです。もちろん祭りを盛り上げよう、楽しんでももらおうという気持ちで参加するのですが、誰のためでもなく自分のためにやっているのだと思います。囃子方もこの6日間のために1年中練習をしているわけで、そこに1時間以上かけて通ってくるメンバーもいます。 “祭り馬鹿”といってしまえばそれまでですが、それで楽しんでくれる人が何万人といるわけで、経済効果も考えると社会に十分に影響を与えているのです。 “誰かのために”だけれど、自己犠牲の上に成り立つのではなく、自分も楽しんで行っている。ボランティアって本来そういうものだと思うのです。 ボランティアをされている方のインタビューを見ると「わたしの方がたくさんのものをもらっている」と答える方が多いのもその表れだと思います。 「ボランティアを人手不足の穴埋めと思ってるんじゃないかしら」「交通費ぐらいはもらわないとやってけないよね」などという話を聞くと、とても残念に思います。 ボランティアを頼む側もやる側も、この気持ちを忘れずに取り組めれば、ボランティア活動はもっともっと良い形で発展すると思います。 [2023.08 Y.Ohtaka] 僕の車のナンバーは「496」です。何の変哲も無い数字に見えますが、実はリクエストして手に入れた拘りのナンバーなのです。
自分自身を除いた約数を足すとその数自身になる…という性質をもった数を「完全数」といいます。 1番小さい完全数は6。その約数は1, 2, 3, 6で1+2+3=6となります。2番目の完全数28。その約数は1,2,4,7,14,28で1+2+4+7+14=28。同様にして3番目は496、4番目は8128。ここまでは何とか計算できますが5番目は33550336となり、もはや人間の手には負えません。それ以降の完全数はスーパーコンピューターを使って探すことになるのですが、現在のところ51個しか見つかっていません。有限なのか無限なのか、奇数の完全数が存在するのかしないのかなど、解明されていないことの多い不思議な数です。 ところで、6月28日はパフェの日だそうです。その制定に当たって面白いエピソードがあります。「パフェ」はフランスの料理人が「完全なデザート」をめざしてつくったもので、完全という意味の「parfait」と名づけられました。それにちなんで、日本プロ野球初の完全試合が達成された日をパフェの日と定めたのだそうです。 それの日は6月28日。 なんとも不思議な日に完全試合が行われたものですね…。 気がつきましたか? 6と28は共に完全数なのです! そして…その場所は青森市の合浦公園にある青森市営球場だったのです。 [2023.7.18 坂本 徹] 高校生の頃、スマホどころか携帯電話自体が世の中に登場する前で、学校の緊急事項は電話連絡網で伝わっていました。 夏休みのある日、級友のお父様が亡くなったとの連絡が!その友人は部活も一緒でかなり親しい間柄です。 「行かねば!」他の親しい友人と連絡を取り合い、連れ立ってご自宅へお悔やみに行くことにしました。 私の学校は東京を中心に近郊4県から通学してくる私立高校で、私は千葉県、当の彼女は埼玉県。正装でないと…と暑い中わざわざ制服を着て(夏でもジャンパースカートでした)電車に乗ること1時間以上、何と声がけしたら良いかと悲痛な面持ちで話し合いながら家に着きました。 ところが…全然お葬式の雰囲気でない。 勇気を出してベルを鳴らし、出て着たお母様とは全く話が噛み合いません。 そのうち状況を察して「とにかくお上がりなさい」と優しく招き入れてくださったリビングで、亡くなったはずのお父様は白シャツ姿でビールを片手に甲子園を観戦中! ??? 連絡網のどこで情報がすり変わった? 私が訪ねた友人と不幸があった同級生の名前はどちらも〇〇村さん。夏休み明けに伝わった連絡網の内容を順に追って行くと、そう言えば祖母が電話に出たという子がおり、どうやらその辺から人名が変わってしまったようです。 あとで笑い話になった伝言ゲームのような話ですが、私たちの日常もこれとそう変わらないということを、私は肝に命じております。気持ちも内容も正確に伝わる様に、言葉を尽くして、時には反復して、確認までして話しているのに「そういうつもりじゃなかった」ということって意外とありませんか。 人は人の話を聞く時に、知識や経験や五感を働かせて一生懸命理解しようとします。理解しようとするからこそ、フィルターが入ってしまいます。難しい内容であればあるほど、フィルターはたくさん必要になってきます。理解するための基礎知識=フィルターです。さらに聞いた内容を人に伝える時には、それを咀嚼して改めて自分の言葉に置き換えて伝える。人のやり取りは全てが伝言ゲームみたいなものとつくづく感じるこの頃です。 本当は子供のように素直な心で真っ白な頭で、見たり聞いたりすれば良いものをと、自戒の念を込めて思うのですけれどね。 [2023.6 Y.Ohtaka] 大学生のとき、私は山城組という組織に所属していました。ヤクザみたいな名前ですが、現在もマルチパフォーマンス・コミュニティ芸能山城組として活躍している芸能集団です。前身の「ハトの会コーラス」の発足が1968年ですから50年以上の歴史を持ち、全16タイトルに及ぶLP・CD等のリリース、ケチャ祭りの開催、映画AKIRAの音楽担当など、様々な活動を続けています。 その音楽性や芸術性については別の機会に譲ることとして、今回は山城組の組織や仕組みについてのお話をしたいと思います。 ①学生による主体的な運営 運営は大学生のリーダーたちに委ねられていました。公演を行う際の会場の確保やPAシステムの手配、ポスターやチケットの作成など、すべてを学生たちがやるのです。当時は「大学生って凄いなあ」と思うのみでしたが、今思うと、大学生だから凄いのではなく山城組だから凄かったわけで、その背景に山城祥二氏という優れた指導者がいらっしゃったからに他なりません。 ②独特な組織体系 山城組には都内を中心に10数大学から200人以上のメンバーが集まっていました。各大学にそれぞれ「組」と呼ばれるサークルがあって、その集合体が山城組であり「総組」と呼ばれていました。全体練習は週2回、お茶の水女子大学で行われましたが、それ以外の活動は各大学で行われていました。大所帯を円滑に運営するために、地方分権のような仕組みが導入されていたのです。小さな活力を集めて大きな活力を生み出す…凄い仕組みです。 ③プロジェクト制 通常の活動は合唱団としてのものでしたが、それに囚われることなく、山城組は色々なことに挑戦しました。和太鼓だったり、前衛舞踊だったり、シンセサイザーの制作だったり。その都度「プロジェクト」が編成され、言い出しっぺがチーフになるというのが山城流でした。その時は特に気にも留めませんでしたが、よく考えてみると「個々の発想を拾い上げ、誰もがリーダーとなりうる優れた仕組み」だったと思います。 そのプロジェクトのひとつがレコーディングです。ビクターレコードから声がかかり、「恐山」「地の響き」「 やまと幻唱」と一気に3枚のLPを出しました。中でも恐山は、バックバンドが井上堯之、大野克夫(沢田研二のバック、太陽にほえろ、名探偵コナンなどでおなじみ)といった豪華なメンバーでした。実に貴重な経験でした。 もうひとつ、山城組の面白い仕組みを紹介しましょう。「兄弟分」と呼ばれる繋がりです。私の兄貴分はIさん、姉貴分はHさんでした。発声や音取りなどの活動に関わることばかりではなく、大学での勉強方法、健康面や人間関係などに至るまで親身に相談にのってくれました。後に私にもMさんという弟分、Oさんという妹分ができることになりますが、地方から上京したばかりだった私にとって本当にありがたい存在でした。 レスタやキャリサポ、チャレンジチームをはじめ、大学での授業や社会教育の講座など、私の活動の重要な骨格の一部はここがルーツです。50年近く前の記憶ですので正確ではないかもしれません。また、現在の山城組がどういう仕組みで動いているのかはわかりません。しかし、坂本徹の源流のひとつであることに間違いありません。 大きな示唆を与えてくれたことに感謝し、山城組の益々の活躍をお祈りしたいと思います。 [2023.5.18 坂本 徹] 春ですね。桜が満開です。 青森の冬は、白鳥が連れてきて白鳥が連れ去ると、私は勝手に思っています。白鳥って編隊を組んで渡る時すごく大きな声で号令をかけながら飛びます。 秋の夕暮れ、姿は見えなくても空のどこかから白鳥の鳴き声が聞こえてくると「ああ、間もなく冬が来るんだな」と、何とも言えない風情を感じます。一方、冬の終わりの白鳥の声は、もっと空高いところから聞こえて来ます。「もう春がそこまで来ている。冬までさようなら」と言っているようで、秋とは違い何となくワクワクします。 私は県外から来た人間で、季節の移り変わりなど寒いか暑いかくらいでしか感じられない土地に居たので、青森に来た頃花の咲き方にとても感動したのを覚えています。 長い冬をじっと我慢していたかのように、スイセン、桜、チューリップ、ツツジ、あじさいが重なり合うように次々と咲く様子は見事としか言いようがありませんでした。同時期に咲いているようで、ちゃんと咲く順番を守っている。物言わぬ花に、生命の力を強く感じた瞬間でした。 そんな素敵な青森に来てもう30年になろうとしています。津軽弁のヒアリングとリスニングはいまだ上達しませんが、気持ちはすっかり“青森の人”。この地で、この地域の人々と少しでも明るく楽しく生きていければいいなぁと思いながら、日々の活動をしております。 [2023.4 Y.Ohtaka] 昨年9月のブログで紹介した秘密基地が壊れました。屋根に積もった雪の重みで軒先が折れてしまったのです。油断したせいもありますが、今年の雪はそれくらいヘビーだったということでしょう。「大変」だねって? いいえ「楽しい」ですよ。修理もDIYの楽しみですから。 ワープロに一斉変換という機能がありますが、これを日常生活で行ったらどうでしょうか。例えば雪のこと。 「よく降るね」「雪かきでヘトヘト」「これ以上降らないでほしい」などなど、青森の冬場の会話は雪のことばかりです。そして、決まり文句は「大変」です。確かにその通りではあるのですが、この「大変」を「楽しい」に一斉変換してしまうのです。私はこの冬からやってみました。 雪かきは大変⇒雪かきは楽しい 寒いのは大変⇒寒いのは楽しい 青森の冬は大変⇒青森の冬は楽しい 南国の人は雪の大変さを知りません。そのかわり、雪が融け、春の息吹を実感したときの感動的な喜びも知りません。雪かきだって雪国ならではの貴重な体験と思えば「大変」ではなく「楽しい」と感じてきます。寒いからこそ、暖かい部屋でキンキンに冷えたビール🍺を楽しめます。 仕事だってそうです。やることが多くて「大変」ではなくて、やれることが色々あって「楽しい」と変換すれば、チカラがみなぎってきます。 [2023.3.5 坂本 徹] |
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