高校生の頃、スマホどころか携帯電話自体が世の中に登場する前で、学校の緊急事項は電話連絡網で伝わっていました。 夏休みのある日、級友のお父様が亡くなったとの連絡が!その友人は部活も一緒でかなり親しい間柄です。 「行かねば!」他の親しい友人と連絡を取り合い、連れ立ってご自宅へお悔やみに行くことにしました。 私の学校は東京を中心に近郊4県から通学してくる私立高校で、私は千葉県、当の彼女は埼玉県。正装でないと…と暑い中わざわざ制服を着て(夏でもジャンパースカートでした)電車に乗ること1時間以上、何と声がけしたら良いかと悲痛な面持ちで話し合いながら家に着きました。 ところが…全然お葬式の雰囲気でない。 勇気を出してベルを鳴らし、出て着たお母様とは全く話が噛み合いません。 そのうち状況を察して「とにかくお上がりなさい」と優しく招き入れてくださったリビングで、亡くなったはずのお父様は白シャツ姿でビールを片手に甲子園を観戦中! ??? 連絡網のどこで情報がすり変わった? 私が訪ねた友人と不幸があった同級生の名前はどちらも〇〇村さん。夏休み明けに伝わった連絡網の内容を順に追って行くと、そう言えば祖母が電話に出たという子がおり、どうやらその辺から人名が変わってしまったようです。 あとで笑い話になった伝言ゲームのような話ですが、私たちの日常もこれとそう変わらないということを、私は肝に命じております。気持ちも内容も正確に伝わる様に、言葉を尽くして、時には反復して、確認までして話しているのに「そういうつもりじゃなかった」ということって意外とありませんか。 人は人の話を聞く時に、知識や経験や五感を働かせて一生懸命理解しようとします。理解しようとするからこそ、フィルターが入ってしまいます。難しい内容であればあるほど、フィルターはたくさん必要になってきます。理解するための基礎知識=フィルターです。さらに聞いた内容を人に伝える時には、それを咀嚼して改めて自分の言葉に置き換えて伝える。人のやり取りは全てが伝言ゲームみたいなものとつくづく感じるこの頃です。 本当は子供のように素直な心で真っ白な頭で、見たり聞いたりすれば良いものをと、自戒の念を込めて思うのですけれどね。 [2023.6 Y.Ohtaka] コメントの受け付けは終了しました。
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