青森市は今、ねぶた祭りの真っ最中。2〜7日の6日間、日中は普通に仕事をしている人々が、どこからこれだけというくらい沢山の人がワサワサと集まってきて、祭りを盛り上げます。3年前囃子方に入り祭りの裏側を見ることができ、支える人の多さに驚きました。 ねぶた本体を作るねぶた師との交流はあまりないので詳しくは分かりませんが、祭りの相当前から多くの人手によって作り上げられていることは、割と知られています。いよいよ本番となると、ねぶたや太鼓台の曳き手、提灯を持つ人、給水リヤカーを引く人、そして囃子方…。台上げ(ねぶたはパーツに分けて作り、本番直前に曳き台に上げながら合体します)作業などは、これらの人が全員で力を合わせて作業をします。 先日「ねぶた囃子、よくやるよね〜。ボランティアだよね〜」と言われました。 やってる本人たちは、ねぶたが好きで好きでたまらず、休暇をとってまで参加するのです。もちろん祭りを盛り上げよう、楽しんでももらおうという気持ちで参加するのですが、誰のためでもなく自分のためにやっているのだと思います。囃子方もこの6日間のために1年中練習をしているわけで、そこに1時間以上かけて通ってくるメンバーもいます。 “祭り馬鹿”といってしまえばそれまでですが、それで楽しんでくれる人が何万人といるわけで、経済効果も考えると社会に十分に影響を与えているのです。 “誰かのために”だけれど、自己犠牲の上に成り立つのではなく、自分も楽しんで行っている。ボランティアって本来そういうものだと思うのです。 ボランティアをされている方のインタビューを見ると「わたしの方がたくさんのものをもらっている」と答える方が多いのもその表れだと思います。 「ボランティアを人手不足の穴埋めと思ってるんじゃないかしら」「交通費ぐらいはもらわないとやってけないよね」などという話を聞くと、とても残念に思います。 ボランティアを頼む側もやる側も、この気持ちを忘れずに取り組めれば、ボランティア活動はもっともっと良い形で発展すると思います。 [2023.08 Y.Ohtaka] |
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11月 2024
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