桜祭りが終わると、出番を待っていたかのようにりんごの花が咲き始めます。その傍には菜の花やタンポポ。岩木山麓の湿地には水芭蕉の群生。華やかさはありませんが、遅い春を慈しむように様々な花が季節を彩ります。つい先日まで雪に覆われていた山々は淡い緑に衣替えです。力強い命の息吹を感じさせる「若葉のころ」が私は好きです。自分が生まれた季節だからでしょうか。 若葉のころといえば、ビージーズの First of May(若葉のころ)は大好きな曲のひとつです。1971年のイギリス映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌で、メロディフェアの大ヒットの陰に隠れて目立ちはしませんが名曲のひとつだと思います。ダニエル(マーク・レスター)とメロディ(トレーシー・ハイド)の可愛らしい恋物語に、15歳の坂本少年は胸をときめかせたものでした。 それから5年後、大学生になった私はKISMYというバンドで、メロディフェア、インザモーニング、ステインアライブ、ナイトフィーバーなど、ビージーズの曲を演奏することになります。しかし、 First of May(若葉のころ)は取り上げませんでした。故郷の遅い春の風景と、幼い日に観た映画のイメージをそっとしておきたかったからかもしれません。 時は巡り、あれから数十回目の春が訪れました。雪を抱く岩木山の麓で咲き誇るりんごの花。水芭蕉、菜の花、タンポポ。そして、淡く瑞々しい新緑の木々。毎年の見慣れた風景ですが、いつも新鮮な感動を与えてくれるのは、四季のうつろいをしっかりと感じられる青森ならではのことかもしれません。 そして…、若葉のころはいつも僕を少年に戻してくれるのです。 [2022.5.1 坂本 徹] 新年度がやって来ました。新しい学校に入学する人、進級する人、入社や移動など新年度を迎えて環境が変わる人も多いでしょう。 特に身上の変化がない人にとっては(私のように)、昨日の続きの今日ですから何かが大きく変わるわけではないのに、気分一新という感じがするのは何故でしょうか。お正月、年度の変わり目、朝…連続する毎日とは分かっていながら何か新しいことが始まるような気がしてワクワクしてしまうのです。 過去には、なんでこんな新年度かと思うほど絶望的な変わり目を迎えたこともあります。ですがそれは、大きな転換期を迎えるのに必要な変わり目だったのだなと後で気付くのです。 Jinzai-Japanはこの新年度で12年目を迎えました。NPO法人になる前に任意団体として1年間活動していたので、実質13年目の春です。正直、始めた時はこれ程続けられるとは思っていませんでしたから、感慨深いとはこのことです。 初期の頃に実施していたのが、市民から条件なしに募集した講師を支援し講座を創る“市民講座「知への輪作戦」”で、本質は変わらないまま現在の主要事業“チャレンジ先生のエンジョイ講座”に引き継がれています。 Jinzai-Japanは「人と人を繋ぐ」を基本理念として事業展開しており、他にも高校生を対象とした“青森の魅力発信高校生チャレンジチーム活動”、対話による心のバリアフリーを目指す“ヒューマンライブラリー”、昨年から始めた市民でGIVE&TAKEのクリスマス“ギビングツリー”など、ひとつひとつ納得しながら事業を進めていけている今の状況にとても満足しているし、そのような環境に恵まれたことに感謝しています。 さて、当然年度予定を立てて事業をしているのですが、毎年思いがけず嬉しいハプニングに遭遇します。それは人との出会いであったり、新しい事業につながる何かであったり。今年は何が起きるのか、楽しみな4月です。 [2022.4.5 Y.Ohtaka] 1994年4月、青森県教育庁生涯学習課へ異動になった私に与えられた仕事は、3年間をかけて「県民カレッジ」を作れというもので、3000万円の予算が用意されていました。それまでに手掛けた事業とは桁が2つ異なります。30代と若かった私は大いに燃えましたが、まだ実際に構築した県は無く参考にできる事例も乏しいので、どこから手を付けていいかわかりません。 呆然としている私に声をかけてくださったのが当時の生涯学習課長でした。「ここに真っ白なキャンバスがある。貴方の好きなように理想の生涯学習の姿を描いてみなさい。」と。気負い過ぎていた肩の力がすーっと抜けました。具体的なものはまだ何もありませんでしたが明確なイメージがわいてきました。「お爺ちゃんとお孫さんが手を繋いでニコニコしながら通う県民カレッジ」です。目指すべき方向が定まった瞬間でした。 しかし、現実は厳しく、とんでもない巨大な壁に挑んでいることを思い知らされます。当時は生涯学習に勤しむ人は少なく、講座なども多くはありませんでした。インターネットもない時代です。そのような状況の中で、「生涯学習の需要を掘り起こし、学習機会の供給を生み出し、それを繋ぐ全県の情報網を整備する」ということを同時進行で求まられたからです。 かの上司に「どこから手を付けるつもりか」と尋ねられ、「できるところから」と答えた私に、「そんなやり方では100年かかっても完成しない。いいか、こうやるんだ。」彼はそう言って、目の前の机のあちこちにあった物を両手で掴み、一気に中央に引き寄せて見せました。本質を捉え、周到に準備をして一気に勝負!…彼から教わったやり方は、その後の私の仕事のスタイルとなり、スキルアッププログラム(17年)、キャリサポ(16年)、ロービジョン相談支援センター(10年)などを生み出すこととなりました。 上司の名前は中島邦夫氏。私が師と仰ぐ一人です。長らくご無沙汰していますがお元気でお過ごしのことと存じます。「県民カレッジ」は開設から26年になる長寿事業となりましたが、坂本徹の重要な「源流」のひとつに他なりません。 [2022.3.1 坂本 徹] (写真は、東京↔青森を通信衛星で結ぶオンライン講座) 人間は“忘れる生き物”です。迷惑をかけたり失敗したり、明日テストなのに…と落ち込むことは多々ありますが、救われることもあります。嫌なこと、悲しいことを和らげてくれるし、怒りを抑えてくれる効果だってあります。 そもそもなんで忘れるんでしょうか。 脳科学的には、大切な記憶を効率的に引き出すことができるように“海馬”が判断して重要でない情報を整理するためと説明されています。 一方で心理学では多くの学者が研究をしているようで、古い記憶と新しい記憶が干渉し合うことでおこるという「干渉説」、時間の経過による忘却とする「減衰説」、自己防衛機能のひとつであるとする「抑圧説」、思い出す手がかりがないからとする「検索失敗説」など色々あるようです。 ところで、記憶の癖にもいろいろあって、単語や数字など単発的なものを記憶しやすい人、文章やセリフなど長い言葉の連なりの方が記憶しやすい人に分かれるようです。私は後者で、学生時代は落研で落語を覚えるのにさほど苦労はしませんでしたが、英単語を覚えるのには四苦八苦しました。映画やドラマのセリフも1回見ただけですぐ覚えるのに、電話番号や人の名前は全然入ってこなくて、今でも苦労しています。 NPOのチャレンジチーム活動では、高校生たちが“青森の魅力発信”をテーマにチームで動画を作るというミッションを遂行しながら、スティーヴン・R・コヴィーの7つの習慣について学んでいます。彼らはおそらく講義の内容は細かく覚えていないでしょう。でも1年かけて、チームで苦労しながら楽しみながら行ったことは経験値として残るはずです。 “肌で感じて感覚として記憶に残す”。私はこれが本来の“学び”というものではないかと思うのです。 さてこのブログ「毎月1日に更新しよう」と決めて、理事長と私が交互にアップするのを守ってきたんですが、今日雪かきをしていて突然思い出しました。 「あ、今月忘れてた」 ということで、今回は長いながい言い訳でした。 [2022.2.3 節分 Y.Ohtaka] 明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。 本年も変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。 皆様にとって良い一年となりますように。 1972年8月、高校1年生だった私は、山梨県甲府市郊外の川原で開催された「あしのこ学校」というサマーキャンプに参加していました。流れる清流は富士川の「源流」のひとつで、大きな石がゴロゴロ転がっていたのを覚えています。 夜の過ごし方が独特でした。夕食が済み辺りが闇に包まれ始めると、テントとテントの間のスペースにランタンが吊るされます。100人を超える若者が6〜7人ずつのグループに別れて、あちらこちらの灯の下に集まるのです。 そこで行われたのは、TKJ法という手法を使ったディスカッションでした。TKJ法は川喜田二郎氏の友人であった小林茂氏がKJ法をもとに開発したもので、トランプゲームのように楽しみながら進行していきます。 その夜、私たちに与えられたのは「本当に信頼し合うにはどうしたらいいか」というテーマでした。7時から始まったディスカッションは白熱し、気がついたら真夜中になっていました。1つのテーマについてこんなに深く話し合ったのは初めての経験でした。 後に知ったのですが、ソニーの常務取締役でソニー学園の校長でもあった小林茂氏が、厚木工場での取組から効果を確信したTKJ法を、教育に活かそうという試みが「あしのこ学校」だったのだそうです。 一人一人を大切にするということ、主体性を引き出すことの意味、人を生かすとはどういうことか、個人発想とチーム発想の組合せの可能性、そして、教え込むのではなく気づかせるという手法(ワークショップ)の威力…等々。今、私が取り組んでいることの多くがそこにありました。 はるか50年前、全国各地から集まった高校生や大学生たちと一緒に過ごした5泊6日のキャンプ生活は実に衝撃的なものでした。坂本徹の重要な「源流」のひとつは「あしのこ学校」に他なりません。 [2022.1.1 坂本 徹] 詩集『影の縫製機』に出会いました。『はてしない物語』や『モモ』で有名なミヒャエル・エンデの詩集です。エンデの詩集があることを、恥ずかしながら知りませんでした。その中で心にとまったのが「道標(みちしるべ)」です。 “道標は迷ったわたしを目的の場所に導いてくれる。なのに当の道標は指し示すその場所に行くことはないし、知ることすらない。人生も同じ、必要な時にそこに道標があることに気づき、わたしに行くべき方向を示してくれる。そしてこの道標を、時がたってからふと思い出すことがあるだろう”という内容の詩で、原語では韻をふんで美しいのだろうと思います。 人生の岐路で出会うもの、それはある人物かもしれないし、歌、本、映画、絵画、言葉…私たちはそれを“道標”として行くべき道を決めているのだなぁと思うのです。“道標”となった人や本の著者、歌の作者あるいは歌手、映画をつくった人や画家は、もしかしたら導いた人のことなど知らないし導かれた人がどこに辿り着いたかも知らないままです。道標はただ“道標”としてそこにあるもの。すでに「行く先を知っている人には目にも入らないかもしれない」もの。 そうか、人生の道標は迷った人が「これぞ道標」と決めるものなんですね。だから必ずしも明るい未来へと導くものばかりではないのが怖いところで、そう考えるとできるだけ明るく優しい言葉を紡ぎたいと思うのです。こうして広い世界に発信するなら尚更のこと。 [2021.12.01 Y.Ohtaka] 平成28年4月、青森県総合社会教育センターの所長として2年目を迎えた私は、「毎週金曜日の午後は職員室での仕事を禁止する!」と宣言しました。多くの時間をパソコンと睨めっこしている職員たちの働きぶりに疑問を感じたからです。 問題は2つありました。一つは、事業の「遂行そのもの」に執心し過ぎることです。滞りなく進めることは大切ですが、貴重な時間を遂行に費やして、本来の意図や目的を見失っては本末転倒です。もう一つは、ネットに依存し過ぎていることでした。刑事や新聞記者と同様、社会教育も自分の足で現場を訪ねなければ本質を掴むことはできません。 戸惑っていた職員たちも次第に真意を理解して行動するようになりました。1週間分の新聞にじっくり目を通す者、県立図書館で調べ物をする者、「会議」ではない話し合いをするグループ。小学校や保育所、カルチャーセンターなど、それぞれの事業と関連する所へ情報収集に出かける者。 かつて、HP(ヒューレットパッカード)には、金曜日の午後に「10%タイム」というスペシャルな時間が存在しました。エンジニアたちは通常の業務から解放され、それぞれに自分のアイディアに取り組むのです。必要な材料や機材は会社の物を自由に持ち出して良かったそうです。そこから数々の画期的なイノベーションが生まれました。また、3M(スリーエム)の「15%プログラム」がポストイットを生み出し、Googleの「20%ルール」からはGmailをはじめとする多くのプロダクトが生まれたのも有名な話です。 私の試みはこれに倣ったものでした。今は制度として続いてはいませんが、職員たちの働き方に少なからず影響を与えたことは確かなようです。曜日や時間を設定しなくても「クリエイティブな時間」を自分の中に持ち続けて欲しいし、私自身もそうしていこうと思います。 [2021.11.1 坂本 徹] ※ 写真の「スタート」は私とO副所長のクリエイティブな時間の作品です。「ゴール」や矢印もあります。 ネットで見つけた子育て中のお母さんの投稿「落ち着きがない我が子にハーネスを着けて外出中、見知らぬ青年に『子供と手をつなげば良いじゃないですか。可哀想だと思わないんですか⁈』と咎められた。自分は、ハーネスは子供を守る物と考えて使用しているのに、何かモヤモヤ」をきっかけに、元養護教諭で子育てに造詣が深いMakiさんと“正しいことってなに?”をテーマに話をしてみました。 投稿に登場する青年は純粋に“子供が可哀想だ”と思い、相当勇気を出して声がけをしたのでしょう。ちっとも悪くない。一方で“子供を守る物”としてハーネス(正規品として可愛い商品になっています)を使用しているお母さんもちっとも悪くない。私の子供も相当落ち着きがなかったので、気持ちはすごくよく分かります。誰も悪くないし、皆正しい。 Makiさん「私もね、若い頃はよく腹をたてて『ねえ、私間違ってないよね⁈』と言っていたの。すると母はね『正義は人をジャッジするもではないの。正しいことは人をすごく傷つけるものだから、言葉にするときは相当気をつけなさい』って。それでさ、子育てが全てではないけれど、少なくとも子供を育ててみると“世の中理屈じゃないなぁ”ってことが実感としてよく分かるよね」 おお!哲学者のような素晴らしいお母様! 世の中は“正しい”情報に満ち溢れています。裁判所ならともかく、日々を生きて行く中では、それはもろ刃の刃でもあることにどれだけの人が気づいているでしょうか。人を傷つけずひいては自分も楽に生きるには、少しでも多くの体験を積み常に柔軟な聞く耳を持つ以外にないわと、この頃強く思うのです。 Makiさんは続けます「子育てに限らず、“べき”は“べき”。その通りやるのは難しい…だって人間なんだから。ただね、本来のことを知っていると、できなくても正道に戻ることはできるからね」なるほど。 正しいと分かっちゃいるのになかなか出来ない、それが・・・“人間”なんだ。と“あいだみつを”も言いたかったのね。 [2021.10 OHTAKA] 定年退職後、私は再就職という道を選択しませんでした。幾つかの大学や企業から声をかけていただきましたが、大学教授や会社役員という仕事は当然のことながら常勤であり、自由になる時間は土日だけになってしまうからです。もちろん生計についても考えなければなりませんでしたが、贅沢をしなければ何とかなるだろうと思いました。 現在の私の生活は、①レスタ、キャリサポ、チャレンジチームなど高校生や大学生の育成、②チャレンジ先生のエンジョイ講座、ヒューマンライブラリーなど生涯学習関連の講座やイベント、③心の窓、サニーヒルなど教育相談や不登校支援…の3つが柱となっています。いずれも無報酬ですが「ライフワーク」と思って自ら主体的に取り組んでいるものです。 近況を尋ねる何気ない問いかけなのでしょうが、「何か仕事はされているのですか」と訊かれる度に私は返答に苦慮していました。現職時代であれば所属や職名を答えればよかったわけなのですが…。たいがいは「特に仕事はしていません」と答えていました。「報酬を得てないのだから仕事ではない」という意識が自分の中にあったからです。 仕事でないとしたら私がしているのは何なのでしょう。趣味でしょうか、それとも道楽かな。ボランティアという意識もありませんでした。仕事って何だろう、報酬って何だろうと考える日がしばらく続きましたが、最近ようやく、自分のやっていることを「仕事」と認知するようになりました。なぜなら、お金以上に貴重な報酬をいただいていることに気がついたからです。 今は仕事を問われたとき、「高校生や大学生と一緒に活動したり、生涯学習関連のイベントをしたり、不登校支援の相談などをやっています」と答えています。 [2021.9.1 坂本 徹] 突然のカミングアウトではありますが、私の生まれは東京オリンピックイヤー。ちょうど開会式の1ヶ月前に産声をあげました。当然赤ん坊の私が東京オリンピックを覚えているわけはありませんが、ブルーインパルスが描いた五輪のシンボルマークとか、東洋の魔女と騒がれた女子バレーボールなど、その後のテレビ紹介で記憶に焼き付きました。 さて、今回の東京オリンピックは印象的な招致のプレゼンが話題となり、日本がオリンピックに向けて一気に盛り上がると思いきや、メインスタジアムの設計変更から始まり、コロナによる延期、委員長の交替やら何やら、極め付けは開催自体の賛否両論と、随分問題を抱えての開催でした。 それでも始まってみると、毎日気になって仕方がない。だって競技は実際に行われているんだもの。 先日、卓球の混合ダブルスで日本が中国ペアを破り悲願の金メダルをとりました。負けた中国ペアは、自国のメディアインタビューでかなり責められたと記事にあり「頑張ったのに気の毒に、やっぱり社会主義の国は厳しいね」と思った人も多いのではないでしょうか。でも少し前までの日本もそれほど変わらない感じでした。選手は“国”を背負って、何か悲壮感すら感じられたものです。入場は一糸乱れず折り目正しく「オリンピックを楽しむ」なんて言ったら叱られる雰囲気がありました。 最近では、日本の選手も開会式の入場から自由で本当に楽しんでいる様子が伝わってきます。競技でも勝てばストレートに喜びを表現するし、負けた時の悔しさには悲壮感は感じられません。本当に自分のために、好きだからスポーツに打ち込んでいる様子が伝わってくるので、見ている私たちも一緒に一喜一憂できるのだと思います。これぞ“共感”です。 それに競技とは別に、選手同士の交流とかオリンピック村の様子などのニュースも結構私は好きです。こんなコロナ禍で開催された“特殊な”大会ではあるけれど、やっぱり色々な意味で国を超えた心の交流がオリンピックにはあるんだなと改めて実感しているTokyo2020です。 [Y.Ohtaka 2021.8.1] |