最近読んだ仏教の本で「全ての執着を捨てることができたら人は幸せになれる」とありました。おお、成程! 執着には1、欲(五欲)への執着 2、見解への執着 3、儀式 儀礼への執着 4、我論への執着の4種類があり、後へいくほど深くなると説いています。(「執着の捨て方」アルボムッレ・スマサラーナ著より) ストレスは「嫌だ」という感情の表れで、自分が正しくて他者が間違っていると感じた時ストレスは大きくなります。たとえ他者の方が理にかなっていなくても、これを許せない己の気持ちが「執着」なのです。要は捨て置きなさいということです。これはアドラーの“課題の分離”に通じるものがあります。 その実践方法として興味深かったのが、物事に感情を付けて見ないという事です。確かに私たちは「(相手が)きっとこう思ってやったんだ」と無意識に想像して、勝手に腹を立てている事って多いですよね。 ある時期私は、密かにチャレンジゲームをしていたことがあります。何かと言うと、運転中急に飛び出して来る車、交通ルールを守らない車など危ない行為をした車にはついムカッとしてしまうものですが、その車を人が運転していると思わないことにしたのです。すると、ただの機械だと思うと「性能が悪いなぁ、仕方ないなぁ」くらいにしか感じなくなるのが自分でも面白くて、しばらく続けていました。何より心穏やかに居られるし。 ですが「嫌だと思う感情は執着から来るのです。執着を捨てなさい」などと言われると、わざわざ車を機械に置き換えて気を休めていたなんて、なんと稚拙な!と悟ったわけです。 言われたこと、やられたこと、起きたこと、全てをただの事象として見るって、簡単なようですごい修練が要ります。ただ、それができるようになれば、心が波立たない“大きな人”になれるだろうなぁ。そして何より自分がとても幸せになれるんだろうなぁ。 [2023.2.10 Y.Ohtaka] コメントの受け付けは終了しました。
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