大学生のとき、私は山城組という組織に所属していました。ヤクザみたいな名前ですが、現在もマルチパフォーマンス・コミュニティ芸能山城組として活躍している芸能集団です。前身の「ハトの会コーラス」の発足が1968年ですから50年以上の歴史を持ち、全16タイトルに及ぶLP・CD等のリリース、ケチャ祭りの開催、映画AKIRAの音楽担当など、様々な活動を続けています。 その音楽性や芸術性については別の機会に譲ることとして、今回は山城組の組織や仕組みについてのお話をしたいと思います。 ①学生による主体的な運営 運営は大学生のリーダーたちに委ねられていました。公演を行う際の会場の確保やPAシステムの手配、ポスターやチケットの作成など、すべてを学生たちがやるのです。当時は「大学生って凄いなあ」と思うのみでしたが、今思うと、大学生だから凄いのではなく山城組だから凄かったわけで、その背景に山城祥二氏という優れた指導者がいらっしゃったからに他なりません。 ②独特な組織体系 山城組には都内を中心に10数大学から200人以上のメンバーが集まっていました。各大学にそれぞれ「組」と呼ばれるサークルがあって、その集合体が山城組であり「総組」と呼ばれていました。全体練習は週2回、お茶の水女子大学で行われましたが、それ以外の活動は各大学で行われていました。大所帯を円滑に運営するために、地方分権のような仕組みが導入されていたのです。小さな活力を集めて大きな活力を生み出す…凄い仕組みです。 ③プロジェクト制 通常の活動は合唱団としてのものでしたが、それに囚われることなく、山城組は色々なことに挑戦しました。和太鼓だったり、前衛舞踊だったり、シンセサイザーの制作だったり。その都度「プロジェクト」が編成され、言い出しっぺがチーフになるというのが山城流でした。その時は特に気にも留めませんでしたが、よく考えてみると「個々の発想を拾い上げ、誰もがリーダーとなりうる優れた仕組み」だったと思います。 そのプロジェクトのひとつがレコーディングです。ビクターレコードから声がかかり、「恐山」「地の響き」「 やまと幻唱」と一気に3枚のLPを出しました。中でも恐山は、バックバンドが井上堯之、大野克夫(沢田研二のバック、太陽にほえろ、名探偵コナンなどでおなじみ)といった豪華なメンバーでした。実に貴重な経験でした。 もうひとつ、山城組の面白い仕組みを紹介しましょう。「兄弟分」と呼ばれる繋がりです。私の兄貴分はIさん、姉貴分はHさんでした。発声や音取りなどの活動に関わることばかりではなく、大学での勉強方法、健康面や人間関係などに至るまで親身に相談にのってくれました。後に私にもMさんという弟分、Oさんという妹分ができることになりますが、地方から上京したばかりだった私にとって本当にありがたい存在でした。 レスタやキャリサポ、チャレンジチームをはじめ、大学での授業や社会教育の講座など、私の活動の重要な骨格の一部はここがルーツです。50年近く前の記憶ですので正確ではないかもしれません。また、現在の山城組がどういう仕組みで動いているのかはわかりません。しかし、坂本徹の源流のひとつであることに間違いありません。 大きな示唆を与えてくれたことに感謝し、山城組の益々の活躍をお祈りしたいと思います。 [2023.5.18 坂本 徹] コメントの受け付けは終了しました。
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