理想的な組織って何だろうと考えることがあります。
強烈なリーダーが居る組織が安心できる人、横並び関係が居心地の良い人、そもそも組織が嫌いな一匹狼と、人によって違うことでしょう。 私が尊敬する哲学者、鷲田清一氏はその著書の中で「日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、誰もがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団」が理想的な組織のあり方であり「公共的な事柄に関して、観客になるのではなくみずから問題解決のためのネットワークを編んでゆく能力、それが、見落としがないかケアしつつ付き従ってゆく」“フォロワーシップ”が、成熟した「市民性」(シティズンシップ)の前提となると述べています。 鷲田氏のは、国の行政とそれに関わるべき国民があまりに“観客”になっていないかという論点での記述ですが、小さな組織にもこれは当てはまると思うのです。 そういう意味でJinzai-Japanは理想に近いかも・・と勝手に悦に入っているわけですが、メンバーはそれぞれ一人で何かをしている人、できる力を持っている人達です。でもちょっと大きいことをしようという時「これってどう思う?」と“課題”を持ち出し、一人二人とはまってきて、課題を出した人を中心に事業が出来上がって行く仕組み。まさに誰もがリーダーになり得て、誰もがワン・オブ・ゼムになれる集団。ね、魅力的でしょう? 何か面白いことをたくらんでいる人、いつでもwelcome! [2020.12.1 Ohtaka] 引用参考文献:鷲田清一「フォロワーシップについて」『パラレルな知性』 晶文社2013.10 126P 「三ない運動」という言葉を知っていますか。1970 年代後半のこと、バイク事故や暴走族の増加を背景に、高校生の命を守るとして始まったのが、免許を取らせない・買わせない・運転させないという「三ない運動」でした。全国の多くの高校では校則で免許取得を禁止し、若い教師であった私も、違反した生徒の停学処分に何の疑いを持たずに過ごしました。
本田技研工業の創業者・本田宗一郎は、著書『私の手が語る』で「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、ルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と言っています。まさにそのとおりなのです。その後、様々な議論が巻き上がり、紆余曲折を経て「三ない運動」は終焉を迎えましたが、これを教訓に、教育の本質を今一度考えてみる必要があると思いました。 話は変わりますが、1989 年、初めて社会教育の世界に飛び込んできた私に、ある先輩が教えてくれたことがあります。人からものを頼まれたら、中身を聞かずに「はいやります」というのが社会教育の流儀だというのです。坂本という人物を見込んでのことか縋がってのことなのだから、内容によって値踏みするようなことは粋じゃないと言うのです。なるほどと思いました。以後、その教えを忠実に守った私は、ずいぶん苦労もしましたが出来ることが増え、色んな人と出会い、「引き出し」の数が多くなっていきました。このことも含めて、今実践していること。①楽しいことは逃さない、②頼まれごとは断らない、③やるべきことは手を抜かない…これが私の「三ない運動」です。 [2020.11.1 坂本 徹] 2カ月ほど前から毎日5kmのランニングを続けています。マイペースのスローランです。好んで住宅地を走りますが、いろいろな発見があって楽しいのです。小さなパン屋さん、キムチ専門店、見事なフラワーガーデン、民家の玄関に「包丁研ぎます」の張り紙、昭和の匂いのする駄菓子屋…。それだけではありません。犬の散歩のおじさんが声をかけてくれます。洗濯物を干すおばさんが視線で応援してくれます。公園で遊ぶ子供たちが手を振ってくれます。
実は2年ほど前に心房細動という病気で手術を受けました。健康は回復しましたが、心臓に負担のかかる運動は控えるよう言い渡されて運動不足の毎日。ストレスから食生活も乱れ、体重が10kgも増えてしまいました。 今年1月にドクターストップが解除になり、新運動公園の屋内周回走路でウォーキングを始めました。1周約500mのコースを10周。重くなった体を弱った筋肉で前に運ぶのは容易ではなく、最初はほとんど「散歩」でした。それでも、1か月後には「スローウォーク」に、2か月後には「ファストウォーク」になり、その後、2周歩いたら1週走る、1周歩いたら2週走るを経て、半年後には5kmを走れるようになりました。体重ももとに戻って体調も良く、健康のありがたさを実感しています。 最近、ハマっているのが「温泉ラン」です。温泉の駐車場に車を停めて、気が向くままのコースを2.5km行ったら折り返して温泉に飛び込む。Y温泉、G湯、F温泉、T温泉、K湯などなど。そのあとの🍺は…最高ですね。 [2020.10.1 坂本 徹] 「共感する」のに不可欠な前提条件が「理解する」ことです。そして「理解」には、2つの段階があります。
先ずは、相手が言っている(書いてある)事柄を“読み取る”こと。単純に内容を字面として“意味言語を理解する”作業です。 次の段階が、その内容を自分で納得できる(腑に落ちる)か吟味する作業です。「分かる〜」と言って盛り上がる時は、納得できている証拠。 言っていることは理解できるが、納得はできないということもよくあります。「意味わかんない」「理解できない」とこぼす時はそういう時でしょう。 さて「分かる〜」の時、互いに同じ感情を共有できた嬉しさを感じます。相手の言葉に自分の経験を重ね「あれだ!」と思うから同じ感情になれるんですね。映画で涙を流す時も、容易に痛みの想像力を働かせることができるから、もらい泣きするのではないでしょうか。 心理学的には「共感」を“相手と自分の気持ちの境界線を越えて、相互に心の響きあいを感じながら関わっていくプロセス”と説明されています。 ところで人の感じ方って千差万別。痛みを感じる度合いも、危機感のバロメーターも様々です。だから内容が深刻なほど、軽率に「分かる」などと言われたら「君に何が分かる」と思ってしまうことがあります。 そう考えると、真に「共感する」なんてあり得るのかと不安になってしまい、「共感」という言葉を簡単に使えなくなってしまうこの頃なのです。 [2020.9.1 Ohtaka] 今年長年憧れだった、ねぶたの太鼓を初めました。
ねぶたのお囃子は笛と太鼓と手振り鉦が、お互いの音を聞き合って「共鳴」しなければ美しい囃子になりません。 「共鳴」には、人の考えや行動に心から同感するという意味もあります。 ところで“傾聴”という言葉をよく耳にします。具体的にどうすることでしょう。黙ってじっくり話を聴けば傾聴?相手を批判しなければいい?そして傾聴で生まれる効果は何? 人は他人の話を聞く時に、自分のフィルターを通して聞きます。入ってきた情報は、知識と経験をもとに情報処理して理解するのですから当然です。 ところが、このフィルターはある意味その人のイメージで、悪く言えば既製概念ですから邪魔になることもしばしばです。ほとんどのコミュニケーショントラブルは、このフィルターを通しての思い違いや勘違いで生まれます。 ヒューマンライブラリーは、少人数で語り手の人生をじっくり“聴く”、その上で腑に落ちないところやもっと知りたい部分を“質問する”を30分で行う、会話形式の講話イベントです。 相手を深く理解できる実感があるのは、このイベントの仕組みが自然と傾聴する姿勢を促すからだと思います。まさに「共鳴」する瞬間です。 逆に言うと普段いかに人の話を聞いていないか…私は最近イラッとくる時、勝手に相手の気持ちを決めつけてないか考えるようにしてみました。すると、不快な感情のほとんどは自分の勝手な憶測から発していることが分かって、逆にホント面白くさえなってきているこの頃です。 [2020.8.1 Ohtaka] アップルパイがいつもより美味しく焼き上がったら…嬉しいですよね。熱々を食して至福の時を過ごすのもいいけれど、楽しみ方は他にも色々とあります。周りの人にお裾分けをしたら喜んでもらえるし自分もハッピーになります。手作りケーキを持ち寄って仲間たちとスイーツパーティー。考えただけでもワクワクしてきませんか。
生涯学習の楽しみ方も色々ですが私のお勧めは「知伝創」です。「知」:講座を受けて知的好奇心を満足させる。「伝」:講座をひらいて知識や技を伝授する。「創」:自分が受けたい講座を自分の手で創る。チャレンジ先生のエンジョイ講座なら、受講生としてだけではなく講師やプランナーとして関わることができます。難しく考えることはありません。アップルパイと同じなのですよ。 貴方の知識や技を周りの人にお裾分けするのが「伝」の楽しみ方です。講師なんて自分には無理と思われるかもしれませんが、素人だからこそできる講師の在り方があります。教えるというより一緒に楽しむというスタイルはいかがですか。 自分も周りも楽しくなることを仕掛けるのが「創」の楽しみ方です。こんな講座を受けたいなあ、あんな講座があったら皆が喜ぶかな。それを実現するプランナーはめちゃくちゃ楽しいです。嵌っている私が言うのですから間違いありません。 もちろん「知」だけでも構わないのですが、「知伝創」をまとめて楽しんでみてはいかがでしょうか。大きな喜びと新しい出会いが貴方を待っています。私たちJinzai-Japanが全力でサポートしますから…レッツ・チャレンジ! [2020.7.1 坂本 徹] |
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4月 2024
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