「共感する」のに不可欠な前提条件が「理解する」ことです。そして「理解」には、2つの段階があります。
先ずは、相手が言っている(書いてある)事柄を“読み取る”こと。単純に内容を字面として“意味言語を理解する”作業です。 次の段階が、その内容を自分で納得できる(腑に落ちる)か吟味する作業です。「分かる〜」と言って盛り上がる時は、納得できている証拠。 言っていることは理解できるが、納得はできないということもよくあります。「意味わかんない」「理解できない」とこぼす時はそういう時でしょう。 さて「分かる〜」の時、互いに同じ感情を共有できた嬉しさを感じます。相手の言葉に自分の経験を重ね「あれだ!」と思うから同じ感情になれるんですね。映画で涙を流す時も、容易に痛みの想像力を働かせることができるから、もらい泣きするのではないでしょうか。 心理学的には「共感」を“相手と自分の気持ちの境界線を越えて、相互に心の響きあいを感じながら関わっていくプロセス”と説明されています。 ところで人の感じ方って千差万別。痛みを感じる度合いも、危機感のバロメーターも様々です。だから内容が深刻なほど、軽率に「分かる」などと言われたら「君に何が分かる」と思ってしまうことがあります。 そう考えると、真に「共感する」なんてあり得るのかと不安になってしまい、「共感」という言葉を簡単に使えなくなってしまうこの頃なのです。 [2020.9.1 Ohtaka] コメントの受け付けは終了しました。
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