「三ない運動」という言葉を知っていますか。1970 年代後半のこと、バイク事故や暴走族の増加を背景に、高校生の命を守るとして始まったのが、免許を取らせない・買わせない・運転させないという「三ない運動」でした。全国の多くの高校では校則で免許取得を禁止し、若い教師であった私も、違反した生徒の停学処分に何の疑いを持たずに過ごしました。
本田技研工業の創業者・本田宗一郎は、著書『私の手が語る』で「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、ルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と言っています。まさにそのとおりなのです。その後、様々な議論が巻き上がり、紆余曲折を経て「三ない運動」は終焉を迎えましたが、これを教訓に、教育の本質を今一度考えてみる必要があると思いました。 話は変わりますが、1989 年、初めて社会教育の世界に飛び込んできた私に、ある先輩が教えてくれたことがあります。人からものを頼まれたら、中身を聞かずに「はいやります」というのが社会教育の流儀だというのです。坂本という人物を見込んでのことか縋がってのことなのだから、内容によって値踏みするようなことは粋じゃないと言うのです。なるほどと思いました。以後、その教えを忠実に守った私は、ずいぶん苦労もしましたが出来ることが増え、色んな人と出会い、「引き出し」の数が多くなっていきました。このことも含めて、今実践していること。①楽しいことは逃さない、②頼まれごとは断らない、③やるべきことは手を抜かない…これが私の「三ない運動」です。 [2020.11.1 坂本 徹] コメントの受け付けは終了しました。
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