今年もギビング・ツリーの時期がやって来ました。 ちょっとお困りのご家庭のお子さんから集めた“クリスマスプレゼントに欲しいもの”オーナメントを道ゆく人が見て、これはと思うものをプレゼントするというアメリカの習慣です。 青森でも少しずつ浸透しきているのか、毎年ご協力頂くRABニュースの賜物か、今年はオーナメント展示当日で7割方プレゼンターさんが決まりました。4年目となりますが今までにない快挙で、本当に感謝の気持ちで一杯です。 そんな中「これって検証はしてるの?一発ものじゃ意味ないわよね。平等じゃなじゃない」と言い、立ち去ったご婦人がいました。何かひとこと言いたかっただけかもしれませんが、当然こうした意見を持つ人もいらっしゃると思うので、ちょっとブログのテーマにしてみました。 “平等”て何でしょうね。 全ての人が同じレベルで居ること?それを実現しようとするのが社会主義だと思うのですが、それはそれで「あいつより俺の方がすごい仕事をしているのに、同じ分しかもらえないのはおかしい」となる。つまり感覚的なもの(仕事量や価値感の優劣など)が入ってくるとややこしくなる。だから行政では明確な基準が必要となり、収入や財産などがその“検証”対象となるのでしょう。“行政では”それが正解だと思います。 ただ、私たちのような活動は福祉活動ではないわけで、純粋に遊び心も持ちつつ、行政の基準の谷間に入ってしまう人、心象的なものや感情的なもの、全てを含みつつ贈る人、贈られる人にとっての真心の行為であり、人間は複雑なんです。何より主眼は“人と人をつなぐ”ことにあります。 さて本題に戻って“平等”について。 ギビング・ツリーに関して言えば、全家庭に配布される広報でオーナメントを募集し、受付は先着順です(実際は定数をオーバーしてないので、応募全員を受けています)。誰にでも同じくチャンスがある、門戸が開かれている、これこそが平等ではないかと思うのですがいかがでしょうか。 すべてに基準を設けてバッサリいくのも、ちょっと淋しい気がします。 [2024.11 Y.Ohtaka] コメントの受け付けは終了しました。
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11月 2024
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