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私の年中行事で恒例となった“あおもりさくらマラソン”が昨日ありました。初参加から4年目、3年前からは唯一ハーフマラソンに挑戦する大会です。 比較的アップダウンが少なく、行程も普段走るエリアが含まれているので走りやすいため、いつもは10キロにしか参加しない私も、この日ばかりは頑張ってみるのです。 とは言え21.4キロすべてを走りきったことはなく、必ず途中歩いてしまいます。一度歩くとその後が却ってキツくなることが分かっているのに、もう限界とばかりに足が止まってしまうのです。歩いてでもせめて前進と思うからこそ限界でも歩くのですが、本当は一度止まって5分でも息を整えた方が効率的なのかもしれません。そう毎回思いながらも、もう動けなくなってしまうかもという恐怖に駆られて、歩みを前に出してしまうのです。 マラソンの醍醐味は、一度ブログにも書いた通り(2021.6)、マイナスなことが頭に浮かばなくなること、理由もなく生きる自信がふつふつと湧いてくることなんですが、走ること自体は誰のためでもない、シンプルに良いなと感じる自分自身のためです。 マラソン大会は途中必ず辛くなる瞬間がやってきます。こんなに辛いのに、なんでわざわざこんなことしてんのかなと真面目に思うんです。 やめたって誰にも迷惑はかからない、そう、心に傷が残るのは自分だけ。それでもやめないのは何故だろう。ゴールした後の達成感を味わいたいから、ゴール後の水が美味しいから、何より「途中でやめちゃったなぁ」という思いをずっと引きずると思うから。 思えば全てがそう。何か行動を起こす時、誰かのためにと、とかく大義名分をつけたがるのが人間ですが、その本質は“自分がそうしたいから”なんです。誰かを助けるのも、寄付をするのも、プレゼントをあげるのも、自分がそうしたいから。義理で嫌々することだってあるじゃないという意見もありますが、それだって結局は批判を浴びたくない自分がいるからで、己のなすこと全ては自分のためだと私は思うのです。 だから稀に「〇〇してあげたのにお礼の言葉もない」という人がいますが、それは違う。それはマナーの域の問題で、お礼を期待することには違和感を覚えます。 なんてことを考えながら、もう年だしハーフマラソンは今年で最後と、なんとか走りきり筋肉痛の中今月のブログを書いております。 [Y.OHTAKA 2025.04] コメントの受け付けは終了しました。
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12月 2025
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